2014年9月1日月曜日

夏の夜は カメラぶら下げ 夕涼み   ~夜景撮影その2 根岸競馬場編~




 さてと、暑い夏の盛りには、お日様が沈む頃、夕涼みのついでにカメラを持ってブラリと出かけても
綺麗な写真が撮れて楽しいですよ、というお話など、その2です。



今回は夜景と言いつつ、イルミネーションやライトアップなどの華やかな夜間イベントとは無縁で、
すごく素朴な、でも、個人的に大好きな場所。


神奈川県の横浜市にあります「根岸森林公園」、という所です。



いつも紹介する他の観光名所は「ぜひ遊びに行ってみて下さいね」なんておすすめしてますけど、
ここは公園に限らず、この地域周辺の柔らかくてゆる~い空気感や、ほどほどの人出などが絶妙に落ち着いて
なんだかとても居心地の良い、お気に入りの癒されスポットなので、皆様方は別に来なくていいです(;´∀`)





根岸森林公園の夕暮れ
「根岸森林公園の夕暮れ」











 今まで写真を載せたりネタにする事は多分無かったと思うんだけど、昔っから新しいカメラやレンズを手にすると
いつもここ(とその他数か所)で必ず試写をするのが、何故か俺の中で伝統の儀式になってます。


ここは根岸線の根岸駅からも、山手駅からも、路地のような上り坂をゆるゆると歩き続けて20分ぐらいかな、
(どっちの駅からも、この上り坂がまた、すごく良い坂なんだよね(^^))


中華街や山下公園、みなとみらい地区などの、いわゆる「横浜の観光地」からは大分離れているので
観光客さんはあまりおらず、どちらかと言うと、主に地元の方達がのんびりされてます。


公園に着けば、まあるい丘のてっぺんに青々と一面の芝生、頭の上にどこまでも広い広い空、
そしてぽかーんと開けた天と地の間でいつも変わらず待っていてくれるのが、根岸の三長老。





根岸競馬場 そろそろ日が暮れる
「根岸競馬場 そろそろ日が暮れる」



根岸競馬場、一等馬見所跡。



この訪れる人を惹きつけてやまない、重厚で魅力あふれる建物の建設が始まったのは1929年(昭和4年)ですが
そもそも一番最初、ここに競馬場を作ったのは、なんと徳川幕府なんです。


そして横浜に競馬場を作ろう、という話が最初に持ち上がったのは幕末の1862年にさかのぼります。



当時、横浜居留外国人さん達の間では乗馬が大ブーム、
現代で言うサイクリングのように遠乗りを楽しんでいたらしいんですが、
ある日英国人グループがお馬さんで遠乗り中、狭い街道の向こうから大名行列がやってきました。


この行列の主は、薩摩藩の最高権力者、島津久光公。
(今上天皇の母方のひいひいおじいちゃんにあたります)


大名行列の先頭の人達は「あんたら馬から降りて道を譲って!!」と、身振り手振りで伝えようとしたらしいんですが
英国人の皆はビックリして慌てちゃったのか、馬に乗ったままオロオロと道の端に寄りつつ行列とすれ違おうとした所、


「馬から降りない無礼者!!」


と、薩摩藩の武士達に斬られてしまい、一人が亡くなられてしまいました。



この出来事は、後に「生麦事件」と呼ばれます。



元々攘夷思想が世に渦巻き、外国人さん達がしょっちゅう襲われていたこの時代、
生麦事件にいよいよ激怒したイギリスは


「居留地の外では普段からむやみやたらと襲われるし、これじゃ危なくて全然乗馬ができないじゃないか!!
こうなったら生麦事件のお詫びも兼ねて、横浜居留地の近くに、乗馬も娯楽も両方楽しめる競馬場を作りなさい!!」


と、徳川幕府に対して賠償金の支払いと共に、競馬場の建設を押し付けたのでした。



・・・・・・さすが、桶狭間の戦いより20年前には
既に第一回競馬が開催されていた近代競馬発祥の国イギリス。


要求の中に、とても濃厚な「馬への愛」がギュッと詰まっていますね。











 この二年後(1864年)、会津藩と薩摩藩により京都を追い出されてしまった長州藩は頭にきて、
いわゆる「蛤御門の変」と呼ばれる京都市内での市街戦をやらかしてしまいます。


そして根岸競馬場の建設が始まった1866年(慶応二年)、徳川幕府は「蛤御門の変」の責任を取らせるため
長州藩相手に「第二次長州征討」という戦争を仕掛けたんですが、逆にボコボコにされて逃げ帰っちゃったので
「…あれ?最近の徳川幕府って意外と弱くね?」と、みんなにバレ始めてしまいました。


この頃、京都では新撰組が街中に睨みをきかせ、「鬼の副長」土方歳三さんが
やがて「日本資本主義の父」と呼ばれる、当時はまだ幕府陸軍所属だった若き日の渋沢栄一さんと共に
謀反の恐れがある人物の取り締まりなどを行っていました。


更に年が明けて1867年(慶応三年)の1月には居留外国人さん達に向け、
ついに根岸競馬場で最初の競馬が開催されたそうです。





根岸の長老 今宵も星を見上げている 640×452px
「根岸の長老 今宵も星を見上げている」











 これは完全に余談ですが、ここで最初の競馬が開催されたのとちょうど時を同じくした慶応三年一月の元日、
京都で皆から恐れられていた新撰組はどんな様子だったかと言うと・・・・・・。



頭脳明晰にして尊王思想のカリスマ、当時はまだ新撰組の参謀だった伊東甲子太郎さんを筆頭に
二番隊隊長の永倉新八さんと三番隊隊長の斎藤一さん、仲間の皆さんなどが
京都の揚屋さん(宴会のできる料亭)にてお正月祝いでベロンベロンに酔っぱらい、
「門限までに帰らないと切腹」という新撰組鉄の掟を完全に無視、



「近藤のヤロ~、最近すっかり調子に乗っちゃって、俺らを家来扱いしやがって~」「そうだそうだ~☆」

「どうせ切腹決定なんだからバンバン飲んじゃおうぜ~」「うぇいうぇ~い☆」



というような近藤勇局長の悪口で大いに盛り上がった・・・・・・かどうかは知りませんが(;´∀`)、
ともかく彼らは元旦~四日まで揚屋さんに延々と居座り、そしてひたすら飲み続け、
ようやくヨレヨレの千鳥足で帰ってきた三人を見た新撰組局長・近藤勇さんはもちろんマジギレ、
しかしさすがにこの三人を切腹させるわけにはいかないのでお説教を喰らわせて謹慎処分、という珍事がありました。

(参考:永倉新八さんの「新撰組顛末記」や菊地明さんの「土方歳三日記」より、セリフはもちろん創作です。

司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」がものすご~~~く好きで、この時代はつい「燃えよ俺」になってしまうので
今回の脱線話は、いつもより一層クドくなってしまいました、失礼m(_ _)m

この後、果たして新撰組の面々がどうなっていったのかは・・・・・・是非「燃えよ剣」をお読みになって下さい(^^))


この年の10月には徳川慶喜公が大政奉還を上奏、11月には近江屋で坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが襲われ
更に翌年の慶応四年になると新政府は江戸を「東京」と改名、年号も改元され「明治元年」となり
日本にとって、とても大きな変化が巻き起こり始めます。











 この後日本は急激な速さで変わって行く時代の荒波に呑み込まれ
やがて第二次世界大戦が酷くなった1942年(昭和17年)に根岸競馬場は競馬を終了、
1945年(昭和20年)の終戦後には米軍に接収されますが現在は日本に返還され、あとはみなさんご承知の通り。



日が落ちて辺りがすっかり真っ暗になっても、
のんびりワンコの散歩をされる方やジョギングされる方がいらっしゃったり、
米軍施設の子ども達が笑いながらバスケを楽しんでいたり、
自転車に乗ったお姉さんが透き通った控えめな声でニコニコと、中国語の鼻唄を口ずさみながらすれ違って行ったり。



みんなが安心して夜を楽しめる時代になった国際都市・横浜の街を、
まあるい丘の上から、きっと万感の思いを込めて、今日も根岸の三長老は穏やかに見守っています。





今日も更け行く横浜の夜を 長老達は見守っている 1024×724px
「今日も更け行く横浜の夜を 長老達は見守っている」












根岸競馬場の夜 2 1024×724px
「根岸競馬場の夜 2」



 ずいぶん長話になってしまいました、歴史に興味の無い方、ほんとごめんね( ;´Д`)



さて、一応夜景撮影の話もしますが、上の写真など
(かなり見辛いと思いますが)星がたくさん写っているのがご覧になれますでしょうか。


(画像を何度かクリックすると、もう少しだけ大きい写真もご覧になれます。

元の巨大画像だと、どこの写真鑑賞用サイトにアップロードしても空の滑らかなグラデーションが劣化、
色の境い目がガッタガタになってしまうので、今回は写真を小さくリサイズしました)



この撮影時に肉眼で空を見ても、星なんか一つも見えませんし、
建物も真っ黒けで、撮影した後に液晶画面で写真を見るまでは、ピントも構図も全くわかりません。


それでも、もちろん三脚は必須なんだけど、(参考までに 上写真の絞り:f 2.0、シャッター速度:10秒、ISO:100 です)
肉眼では全く見られない、とてもほのかな星の光も、真っ暗な建物にほんのわずか届いているだけの外灯の光も、
10秒、20秒、30秒・・・と長くシャッターを開け続け、カメラの中へと静かに集め続ければ
集めた光をその姿に浴びて、写真の中に浮かび上がらせる事ができるんですね(^^)





三賢人の頭上に星が降る夜
「三賢人の頭上に星が降る夜」




 最後に、上の写真に関して。



ここであんまり手品のネタばらしみたいな事は言いたくないんだけど、
もしもすごく真面目な方が写真のタイトルをご覧になって気にされるといけないので、一応書いておきます。


この流れ星のように見えるもの、実際は恐らく人工衛星です。


艶消しな話はしたくないしめんどくさいので端折りますが、写り方、明るさと時間、位置から見て
多分JAXAの「陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)」あたりじゃなかろうか、と思います。



(人工衛星の位置情報がわかるサイトに移動します。

Heavens-Above 人工衛星位置情報がわかるサイト

例えば「明るい衛星の日毎の予測」というコーナーをご覧になられると、夕方から夜にかけて
毎日こんなに数多くの人工衛星が頭上を通り過ぎているのか、とビックリされるんじゃないでしょうか)



それでも、実際はどうであろうが、写真として見れば、「根岸の長老たちと流れ星」って、
どうです、なかなかロマンチックでしょ?


夜景撮影と言えばイルミネーションやライトアップで彩られた数々の素敵な建造物が思い浮かびますが、
そうした華やかさとは無縁の、夜、闇に包まれるような場所では
逆に「空一面に瞬く星達」という、最高にリッチな背景を使う事ができますので
皆様方も是非、一見明るさが全然足りないような所でも、試しにカメラの中へ光を集めてみて下さいね(^^)






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